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ムサシの桜

 駐車場に車をいれたのち、息子の提案で、宮本武蔵の屋敷があったあたりへと歩いていく。

 ムサシは堀をながめ、武者返しと呼ばれている独特の石垣をながめ、懐かしそうに、時には足を停め、時には何かを確かめるように小走りし、目的の場所へとやってきた。

 ムサシの屋敷は千葉城にあった。熊本城の東にあった千葉城は、熊本城よりも古く、菊池一族によって築城されたものだ。

 現在はNHK放送局の建物があり、その面影はない。

 「あの辺にあったはずだよ」

 息子が指を差したので、ムサシはそびえ立つテレビ局の建物を驚きの眼で見た。

 熊本城の石垣へと眼を移し、何かを思いだしているようすだったが、いやっと小声でいってから、「もう、ここはよろしかろう」と私たちに告げた。

 1607年、茶臼山に築城された熊本城は、加藤清正によるものだ。豊臣家で七本槍に数えられた清正は肥後に領地を得ていたが、関ヶ原の戦いでは徳川方について戦い、堅固な城をこの地に築いた。しかし、秀頼と家康との仲裁を望むも、その直後に病死し、のちに加藤家は改易となり、あとに入ったのが細川家である。

 宮本武蔵を招き入れた忠利公は、父、忠興、母、明智光秀の娘、玉(キリシタン、ガラシャ)を両親に持つ文武に優れた城主だった。

 1640年、武蔵57歳のときである。

 父はこういった話しが好きで、夕飯のときなど、私に話してきかせていた。

 ムサシはいまどんな気持ちでいるのだろうと思った。

 懐かしさ、寂しさ、熱い思い? 彼は「兵法三十五ヶ条覚書」「五輪書」などをこの熊本で記した。ムサシなりの志をもって余生を送った場所にちがいはないだろう。

 ムサシのいまの年は多分六十丁度くらいだろう。彼の余命は一年かそこら、もう長くはない。勿論そんな話をムサシにするつもりはないのだけれども。

 私は貴重な時間を、ムサシと過ごしているのだと自覚した。(つづく)
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テーマ : 自作連載小説
ジャンル : 小説・文学

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